お世話になった石垣島
若い頃は後先、考えず無鉄砲だった私
母親と大喧嘩し、
3ケ月ほど家出した。笑。
母ひとり子ひとりの私の家庭では一大事。
止める母親を振り切り
石垣島へ。
お金のことの喧嘩はうんざりする。
泣きたくても泣けない。
私は、3ケ月間石垣でスナックでバイトをした。
(雇ってくれて感謝した)
時給もすぐ上がった。
親以外からの人の優しさに感動した。
アパート(寮)の近くのスナックのカラオケから
流れてくるSMAPのライオンハートが聴こえてきて泪がポロポロ出てた。
石垣島はもちろん、西表島も観光した。
お盆の時期だったのでアンガマー(伝統行事)も運良くみれた。
後ろ髪をひかれる想いで石垣島を去った。
帰って思い出話をしてたら
母親に少し優しくなれていて
そして一回り強くなった自分がいた。
石垣島で出会った方々も含め
19才~25才までの人生は今も続いてる気がする。
出逢えた人達の言葉をハッキリ覚えているので、
それが今の私の生活を支えています。
また行きたいなあ...
とにかく色んな人達と出逢えた。
ホントに、色々なご職業の方々がいた。
沖縄本島に帰る日が近づいたある日、
石垣そばをごちそうになっていた私
ラジオから
三木道三のライフタイムリスペクトが流れ
一緒にいた人が口ずさんだ。
情熱な恋の始まりだった。